博澄さんと妙奈さんの第一子として200X年5年31日、3120グラムと元気な女の子を授かりました。
実は妙奈さん、1年前の同じ日にお腹の中にいた赤ちゃんの心臓が止まり、手術で取り出すという、とても悲しい稽留流産を経験されました。それから一年後の同じ日、しかも、同じ時間帯に凜さんはこの世界へ誕生しました。なかなか子どもを授からなかった博澄さんと妙奈さんにとって、とくべつな運命を感じずにはいられない子どもでした。
”凜”とした女性に育ってほしい”という願いを込めて「凜」と名付けました。
その1年後には長男の蓮(れん)くん、5年後には次男の嵐(らん)くんが誕生し、”りん” ”れん” ”らん” に囲まれて、中里家はとても賑やかな家族でした。
凜さんは小さな頃から勉強が好きでしっかり者でした。県の人権作文コンクールで表彰されたり、新体操を習ったり。”才色兼備”という言葉がぴったりな、頼りになるお姉ちゃん。中学になったら勉強を頑張ると心に決めて、まさに一家の期待の星でもありました。
「娘がいなかったら私は働けてなかった。」とパート勤めだった母親の妙奈さんは言います。
凜さんは中里家にとって第二の母親のような存在でもありました。
そんな凜さんですが、小学校後半から反抗期に突入します。機嫌よく帰宅したなと思った途端、”無視” の連続。一番の矛先はお父さんの博澄さんへ向けられました。博澄さんは娘の好きな音楽を聞いたり、娘に好かれる努力を色々しましたが、頑張ろうとすればするほど 「うざい」「きもち悪い」の言葉の刃が飛んできます。そんな光景を妙奈さんは ”健全な成長” だったと微笑ましく回想します。
凜さんの夢は物心ついた頃から医療者になることでした。幼稚園の時の夢はお医者さんになること。成長するにつれ、その夢は助産師になることへと変わっていきました。それはお母さんの稽留流産の経験を聞いていたことや、次男の嵐(らん)くんの子育てを直近で体験したことが大きかったのではないか。と妙奈さんは言います。意思が強いのも凜さんの特徴。助産師になると決めたら一直線。5年生の専門高校へ進学し、最短ルートで助産師の夢を追いかけてます。成績も優秀で、学年で1番になることもありました。
とある日曜日の午後、「薬局に買い物に行ってくる。」と言って凜さんは出かけました。妙奈さんはついでのお使いをお願いしました。それから1時間ほど経った頃、そろそろ帰ってくるかな?と思っていると、妙奈さんの携帯電話が鳴りました。
表示されているのは知らない番号。きっと間違い電話だろう。その程度に考えていると、また同じ番号からの連絡。恐る恐る電話を取ると、お母さんのお名前を教えてくださいと尋ねられました。名前を言うと「あってる。」という声が電話の向こうから聞こえました。
「実は娘さんが事故にあわれて意識がない状況です。」
そんなことを突然言われても、最初は詐欺を疑いました。と妙奈さんは言います。電話口で押し問答していると、救急科の医師に代わり「私の名前をインターネットで調べて見てください。〇〇病院と顔と名前が出ますから。」と言われ、不貞腐れながら電話を切りました。調べてみると、〇〇病院からの連絡で間違いなさそうです。仕事中の博澄さんに連絡をとり、博澄さんが病院へ向かってくれることになりました。
それでも納得の行かない妙奈さんは、胸騒ぎを抱えながら、次男の嵐(らん)くんと事故現場を見に行くことにしました。現場へ行くと、凜さんの自転車の前カゴだけが潰れている状態。そこは人通りも、交通量も少ない場所でしたので、きっと骨折程度の事故だろう。この時でさえ、そんな程度に思っていました。
現場検証をされている警察の方に「ここでは説明ができないので、急いで病院へ向かってください」と促され、家に戻りました。病院へ向かう準備をしてたところ、病院に到着した博澄さんより連絡がありました。「〇〇病院に急いで来てくれ!」
長男の蓮くんがタクシーを手配してくれて妙奈さんは病院へ向かいました。
病院へ到着すると、博澄さんは首を横にふるだけでした。
「そんなに酷い状況なの?」
救急科より*ICUに移る前に凜さんと会ってくださいと言われましたが、妙奈さんは凜さんを見ることができませんでした。突然襲いかかってきた現実を受け入れることができなかったからです。代わりに博澄さんと長男の蓮くんが様子を見に行きました。
「あんな姿を見せられたら…」
どこからともなく、蓮くんの声が聞こえてきました。
*ICUに移ってからようやく凜さんと対面することができました。凜さんは様々な管に繋がれて、変わり果てた姿になっていました。妙奈さんは近寄れなかったと振り返ります。
「脳の出血がひどく、これ以上の処置はできません。何もしなければ4〜5日でしょう。」医師からはそう告げられました。その日は一旦帰宅し、保険証や様々なものを準備をしていた時、なんとなく意思表示カードを持って行かなきゃと妙奈さんは思いました。
ーーどうしてそのように思ったのですか?
妙奈さん:
「『何もしなければ4〜5日でしょう。』と言われた時に、『ほぼ、ほぼ脳死に近い。』ということも言われました。確信ではないけれど、次の日に臓器提供の話になることも覚悟していました。」
ーー多くの場合、家族や大切な人と臓器提供について話をしたことがないと思います。凜さんが医療系の学校に通われていたというのもあるのでしょうけど、医療者の間でも臓器移植はニッチな領域です。妙奈さんはどうして覚悟を持つことができたのでしょうか?
妙奈さん:
「凜と臓器提供について話し合う機会を持つことがありました。最初は私が意思表示カードを持っていて、どういうものなのかを凜にちゃんと説明をしました。『私も持つ!』とサラっと彼女が言うものですから、もっとちゃんと考えなさいよ。そんな会話をしたことがあります。それからしばらくして、彼女は日本臓器移植ネットワークの臓器提供意思登録に登録し直しているんですよ。私は凛の意思を知っていました。だから自然とそのような行動になったんだと思います。」
次の日病院に行くと担当医は女医さんでした。とても言いづらそうな様子で、
女医:
「ほぼ脳死状態です。ひとつの提案ですけど、臓器提…」
と濁した感じで言いかけた瞬間、
妙奈さん:
「実は意思表示カードを持っているんです。臓器提供をお願いしたいです。」
と切り出しました。
女医:
「こんなに若い看護学生の凜さん…。本当に、本当にいいのでしょうか…?」
妙奈さん:
「いいも悪いも、凜の言う通りにしなかったら、私が怒られます。」
先生も、妙奈さんも泣きながら言葉を交わしました。
妙奈さん:
「変な話ですけど、臓器提供の選択肢を言われた瞬間 ”道” が開けたんですよ。 『何もしなければ4〜5日でしょう。』と言われたときに、このまま灰になってしまうのが何よりも怖くて…。凜の姿、形はなくなってしまうけど… 大変おこがましいのですが、 誰かの体をお借りして、凜を生かさせていただくことができるのなら。臓器提供は私にとって最悪の中での ”唯一の希望の道” だったんです。」
ーーお母さんはそのように思われたかもしれませんが、お父さんやご兄弟はどうだったのですか?
妙奈さん:
「全員OKです。家族みんなが賛成です。1人でも反対する人がいたらできないとのことでしたが、家族全員が凜のこと、凜がどうしたいかってことをちゃんと知っていましたから。」
凜さんの脳圧はひどく、一刻を争う事態でした。急いで日本臓器移植ネットワークへ連絡をしドナーコーディネーター派遣の依頼や脳死判定の準備が進められました。急がなければ凜さんの状態はどんどん悪くなってしまうからです。この間、人工呼吸器に繋がれていた凜さんの心臓は合計3回止まりました。夜中心臓が止まって13秒心臓マッサージをしたら動き出したと言うこともありました。意識はなくとも、確かに凜さんは ”生きよう” としていました。
妙奈さん:
「次の日、ドナーコーディネーターさんが凜の誕生日と名前で、『ネット登録していた凜さんの意思表示を確認できました。』と知らせてくれました。」
脳死判定の準備が進められていくにつれ、普段から臓器提供について話し合っていた妙奈さんでさえ勉強不足を痛感させられたと言います。
妙奈さん:
「脳死判定テストって1日2回、計4回実施されるのですが、それを踏まえないと臓器提供ができないなんてことはまったく知りませんでした。最後の脳死判定テストには親として立ち会いましたが想像以上に辛かったです。」
ーー具体的にはどんなことが辛いのですか?
妙奈さん:
「おでこに針を刺して反射を調べたり、氷水を耳の中に入れて顔をゆすって眼球の動きを調べたり、耳元で凜の名前を呼んで脳波の反応をみたり…やっぱり反応はないんです。最後に人工呼吸器を6分間外すテストがあるのですが、それは辛いから見ないでくださいと病院側から言われました。その時だけは席を外しました。」
ーー理解はしていたけど、凜さんの死が確かなものになっていくのが辛かった?
妙奈さん:
「そうですね…。病院にいるときは平静を保てるのですが、家に帰ると落ち込むんです。もちろん寝れないですし…、自分を責めるし…。”どうして?” ”なんで?” そんな感情ばかりに支配されてしまうんです…。なんであんな人通りの少ない場所で事故にあって凜は死ななきゃならなかったのか?いくら考えてもキリがないのですが、今でも考えてしまいます。」
ーー臓器提供の決断、つまり脳死判定を実施することは凜さんの命日をご家族が決定することになると思います。そこへの葛藤はありませんでしたか?
妙奈さん:
「脳死判定テストの最終日が凜の命日になるとことは理解していました。『最後に凜さんの手を握ってください。』と先生に言われましたが、私はずっと拒否していました。この後に及んでも、やっぱりどこかで凜の死を認めたくなかったのかもしれません。頭ではわかっていましたが…十分すぎるほど事前に説明を受けていましたが…。最終の脳死判定が凜の命日になってしまう。それはやっぱり何より辛いことです。一方で、最初に病院に運ばれてから、最終脳死判定まで凜の状態は何一つ変わりませんでした。もしかしたら、最初に運ばれた日が命日だったかもしれない、という気持ちもあります。病院に運ばれてから脳死判定最終日までの4日間が、これから先、私たち家族にとって大切な4日間になるのだろうと思います。きっと、毎年思い出しますよね。」
ーーお葬式の準備もありますよね…
妙奈さん:
「そうなんです。臓器提供のことが済んだら今度はお葬式のことを考えなきゃいけないんです。お葬式なんて私たちも初めての経験ですし、本当に大変。一番驚いたのは、火葬場の空きがないんです!一刻も早く凜を家に連れて帰りたいのに…。その影響で約1週間ほど葬儀屋さんの安置室にいることになるのですが、それは辛い日々でした。お葬式は家族葬にて執り行われました。凜にはナース服を着せて送り出すことができました。」
ーーそういったことをしつつ、警察との事故のやりとりも相当なご心労だと思うのですが…
妙奈さん:
「はい…。病院にいながら警察とのやり取りもありますし、それに葬儀屋さんとの打合せ。本当に大変な日々です。1人でゆっくり考える暇もなく、今振り返っても、よくあのような日々を過ごすことができたなと思います。臓器提供うんぬんよりも、事故への苛立ちを抑えるのに精一杯でした。今週も地方検察庁に出向かなきゃいけません。臓器提供以外にも乗り越えなきゃいけない困難がたくさんありすぎて…。」
今は凜さんへ会いにきてくれる人が多く、人と話す機会が多いので気持ちを保つことができるが、これが落ち着いてきたら自分を保てるのか?という一抹の不安があるそうです。
妙奈さん:
「手術は夜中でしたから、摘出手術の時は私と長男だけ病院に残りました。父親と次男は家に戻ってもらったんです。それぞれ臓器別で摘出チームが来てくださります。『心臓、出ます!』って声がかかって、クーラーボックスに入った凜の心臓をエレベーターの前まで見送りにいきました。クーラーボックスに手をあてて、『凜、いってらっしゃい!がんばってね!!』って見送りました。心臓摘出の先生は言葉を交わすことなく、一礼してそのまま去って行かれました。肝臓の先生は『大切に使わせていただきます。』っておっしゃってくださいました。大切な凜の一部をそれぞれの人へ託しました。」
ーー声かけがあったり、なかったりと、人によってずいぶん違うのですね…
妙奈さん:
「そうなんです。実は…肺だけは提供に至りませんでした。開胸して状態を確認すると、相当ガスが溜まっていて、ダメージが大きい状態でした。実際見てみないと提供できるかわからないって、事前に言われてはいたのですが…。コーディネーターさんに申し訳なかったですと言うと、『そんなことはないですよ、残念な結果であっても間違いなく凜さんは待ってた人に希望を届けることができたと思います。』って言ってくれました。」
ーーそうでしたか。凜さんの肺は限界まで頑張っていたのですね。摘出手術が終わると凛さんは?
妙奈さん:
「臓器摘出手術を終えると、それまで人工呼吸機で循環を保っていた状態とは違い、血色も悪く、冷たくなって病室へ戻ってきました。当たり前のことなんですけど…その姿を見た私と長男は泣いてしまいました。それから少し経って、ドナーコーディネーターさんが『心臓が再開しましたよ!』って知らせてくれて。本当によかった、無事に凜の心臓は誰かの元で動き出したんだと。人間の体って神秘的で素晴らしいなって、またまた、私と長男は凜の前で泣いてしまいました。きっと凜は『泣きすぎだ!』って怒っていたと思います。(笑)」
凜さんは18歳。医療科学的には大人扱いとされ、腎臓以外の臓器は大人の人の元へいったそうです。
妙奈さん:
「私、口に出して先生に言っちゃったんです。先生、心臓はこんな高齢の方に行くんですか?って。そしたら女医さんは心臓血管外科にいたことがあるらしく、心臓を待っている人も何年も大変な日々を過ごされていることを丁寧に教えてくれました。続けてコーディネーターさんから、心臓のサイズや血液型、抗体の有無など、本当に選ばれてマッチングされた人の元へ行くんですよって。」
ーーそれでも…正直、モヤモヤしますよね?
妙奈さん:
「はい。でも…最後のとどめはコーディネーターさんからだったのですが、『凜さんならどうされると思いますか?』って。それを言われたら…ね。凜は誰であれ助ける!って言うに決まってるじゃないですか。」
ーー凜さんはじめ、ご家族のみなさんは本当にお強いです。改めてまして、感謝と尊敬を申し上げます。
妙奈さん:
「そんなことないです。実は…しばらく経ってから凜のひとつの腎臓が駄目になったってことを知らされました。なんでもレシピエント患者の方は他の病気もあって、移植手術の前からハイリスクであることはわかっていたそうです。結局は凜の腎臓に血液が行かなくなって、腎臓は取り出すことになってしまって…なんだか凜の一部が消えてしまったような…凜を無駄にされたような気持ちになりました。でもね、患者さんのお母さんの気持ちになれば、藁にもすがる思いになるのは理解できます。でも、でも、私の大切な凜なんです。医学的に凜の臓器をちゃんと生かしてもらえる人の元に届いて欲しいって言うのが正直な気持ちです。多分こんなこと言うと、また凜に怒られると思いますけど…。」
妙奈さん:
「私たちは運がよかったと思います。凜が運ばれた病院がたまたま〇〇病院だったから臓器提供ができました。凜の意思を生かしてもらうことができました。」
ーー〇〇病院でなかったら?
妙奈さん:
「ドナーコーディネーターさんから聞いたのですが、日本の半分の病院では臓器提供の体制が整っていないと言う話を聞きました。意思表示さえすれば、もっと簡単に臓器提供はできると思っていたんです。『〇〇病院だから臓器提供が叶ったんですよ。』って聞いた時には本当によかったと思いました。”よかった”って表現も違うと思うのですが。」
ーー臓器提供の意思が凜さんの願いでもあったわけですからね。
妙奈さん:
「人を助ける仕事にはつけなかったけど、最後はちゃんと人を救ったのだから、いいように言えば、凜の夢を少しでも叶えてあげられたかなって思ってます。
ーーそれでも寂しい気持ちは消えないと思います。いつまでたっても会いたいですよね?
妙奈さん:
「そりゃ会いたいですよ。夢でもなんでもいいから会いたいです。でもちっとも出てきてくれないんですよ。あっ、でも彼氏のところには会いに行ったらしいですよ。そりゃぁ好きな人のところには会いに行きますよね。(笑)」
ーーえっ彼?そりゃぁ彼氏がいてもおかしくないですよね。年頃の女の子なんですから。
妙奈さん:
「生前は知らなかったんですが、実は凜が亡くなってから彼氏がいることを知ったんです。凜はミュージシャンのMrs. GREEN APPLEの大ファンだったんです。そのライブに行くためにアルバイトもたくさん頑張っていました。凜が亡くなってからSNSを通じてたくさんのMrs. GREEN APPLEファンのお友達から連絡がありました。なんでもファンコミュニティの中でもとても活動的だったそうで。(笑)彼氏とはMrs. GREEN APPLEがきっかけでお付き合いをしたようです。その彼氏からSNSを通じて連絡をいただきまして、私たちの知らない凜の側面を教えてくれて、とっても嬉しいんですよ。」
ーーなんだか今時と言いますか、SNSを通じてそういったことを知れるのは素晴らしいですね。
妙奈さん:
「彼は凜が事故にあう数十分前までお話してたようで、『もう少し僕が電話を繋いでいたら運命が変わったかもしれません。』って言うもんだから、それは違うよって。私もお使いを頼んだし、ひとつ悔やみだすと、全てがネガティブスパイラルに陥ってしまうから、決してそうは思わないでって伝えました。事故のあった日にMrs. GREEN APPLE繋がりの仲の良い4人でグループ通話をする約束をしていたそうです。時間が過ぎても凜が入ってこないので、おかしいなぁと話していたところ、次の日に事故のことが全国ニュースになったそうで…。仲間の皆さんは、その場所や情報から最悪の事態を想像していたそうです。」
ーー全国ニュースにもなるほどの事故でしたか…。
妙奈さん:
「はい。亡くなってから約一ヶ月後に私が凜のSNSを通じて、彼女が亡くなったことを発信しました。そのことをきっかけに、残念な形ではありましたが、お仲間の皆さんに凜のことをお知らせすることができました。」
ーーSNSがなかったら知らせる術がないですもんね。
妙奈さん:
「凜のことがきっかけで、その彼は『意思表示登録しました。』とか『グリーンリボン検定合格しました。』って知らせてくれるんです。こちらからは何も強制はしてないんですよ。それがとても嬉しいんです!」
ーーところで、*サンクスレターは届きましたか?
妙奈さん:
「まだありません。ドナーコーディネーターさんからはレシピエント患者さんの病状経過の連絡はいただくのですが、実際に凜の臓器を受け取ったご本人たちがどう思っているのか。そこが一番気になります。」
ーーそうですよね。妙奈さんにとっては大切な凜さんを託されたわけですから、気になって当然だと思います。
妙奈さん:「近しい友人に凜の臓器を提供したことを言うんです。『偉いね、よく臓器提供できたね。』って言われることが多いんです。つまり友人は私なら提供できないっていうことだと思うんだけど。でも、偉いのは私ではなくて凜です。私たちは純粋に凜の意思を生かしてもらおうとしただけ。考え方は人それぞれで、色々な考えがあっていいと思うんだけど、どこかで今日も凜の一部が生きてる。そう思えることが今の私の励みです。」
涙しながら、笑いながら、妙奈さんは心の内を語ってくれました。 2023年、闇NPOの臓器売買疑惑、歴史的円安による5億円を超える海外渡航移植がきっかけになり、国内の臓器移植の環境改善にスポットライトが当たり始めています。数や制度の議論の前に、さまざまな領域で ”いのちを引き継ぐ覚悟” をもっと丁寧に議論しなければいけないのではないでしょうか。そんな大切なメッセージを凜さんと妙奈さんはたくさん伝えてくれました。大変つらい状況の中、貴重なお話をありがとうございました。
*ICU:集中治療室 (Intensive Care Unit)
*サンクスレター:臓器を提供した人の家族と移植を受けた人は、お互いの名前や住所を知ることも直接会うこともできません。移植を受けた人が健康を取り戻した喜びやドナーへの感謝の思いは、サンクスレターにして渡すことができます。その手紙や絵は、JOTを通して、個人情報が伝わらないように配慮されて、受け渡しが行われます。何年も何回も続いて、お手紙のやりとりのようになっている人たちもいます。(日本臓器移植ネットワークHPより)